黒柳徹子のセミヌード

 35歳頃の黒柳徹子


 今日の「NHKアーカイブス」2本目*1は、夢であいましょう(24分) 1965(昭和40)年6月19日 放送でした。
 31歳の黒柳徹子がめちゃくちゃかわいかった! 最初は徹子だと気付かなくて、美人さんだなぁ♡と見ていたら、特徴のあるあの声が聴こえてきたため、「徹子だ!」ってビックリした。今でこそ化け物のようだけれど、彫が深くてハーフみたいで、コケティッシュでかわいいの! 若い頃の中山麻理にちょっと似てた。やっぱり顔立ちがはっきりしてる人って、年取ると皺だらけになっちゃうのねぇ。もう一人出演している女の子*2はチンクシャなのに、一人だけ日本人離れしていてさー、「この人ホントに日本人?ハーフとかじゃないの?」って検索しちゃったよ(「窓際のトットちゃん」読んだことないんだ、私)。24,5歳に見えるけれど、この時いくつなんだろう?と検索して、31歳当時の映像だと知って、若く見えることに驚いたよ。私が物心ついた頃はもう徹子はお化けっぽかったけれど、30代はまだかわいかったのね。10年嫁き遅れをネタにしていたけれど、このかわいい人はまさか生涯*3独身を貫くとは思わなかっただろうね。かわいい!かわいい!言いながら、番組を見ていました。24分はあっという間だったよ。


 番組終了後、確か『お宝ガールズ』か『BUBKA』に若い頃の黒柳徹子セミヌードが載っていたはず!と本棚をごそごそ探し、見つけてきたのが↑の画像です。
 『BUBKA Special』vol.1(ブブカ1997年10月増刊号)より。黒柳徹子が脱いだ昭和40年代の週刊プレイボーイを探したが現物を入手できなかった、というコメントは書いてあるものの、これがその週プレのグラビアなのか、それとも別の物なのかは明記されていませんでした。


 google:黒柳徹子 セミヌードで検索したら*4、同じ写真があった!「篠山紀信と28人のおんなたち」(1968年 毎日新聞社)という、カメラ毎日・毎日グラフ共同編集の雑誌増刊号のようです。
 http://www.utrecht.jp/special/special22.php
 http://www.utrecht.jp/book/detail.php?1679


 あ、でも篠山紀信のバイオグラフィーによると、

1968年
ライトパブリシティ写真部を退社し、フリーの写真家としてデビュー。「週刊プレイボーイ」(集英社)「カメラ毎日」「話の特集」などでヌード作品を次々に発表し、新進カメラマンとして一躍マスコミの寵児となる。それらの作品をまとめた初の写真集『篠山紀信と28人のおんなたち』(毎日新聞社)を刊行する
って書いてある。じゃぁやっぱりこれ、週プレのグラビアの再録なのかもね。


 この写真を初めて見た時、私はまだ10代で、10代にとっての30代なんてオバさんじゃない。「うわぁ〜、徹子のセミヌードなんて見たくないよ〜。昭和40年代といったら、徹子もうオバさんなんじゃない? 若い頃ならともかくさー。今の面影バリバリで、気持ち悪い〜」なんて思ったものでした。
 あのキモかったセミヌードも、今見ると違うかも!と思い、引っ張り出してきました。何でこれを気持ち悪いと思ったんだろう?若いって不思議。白い(たぶん金髪)カツラをかぶっている写真は、やや面影がありますが、それでもチャーミング! 右のクリンクリンヘアの写真は、言われないとちょっと徹子だとわからないわよね。かわいいー!
 でもさっき見た、動いているとこのがずっとかわいかった! 31歳と34,5歳だものなー、加齢によるものも大きいのかもしれないけれど。

*1:1本目は小学校の先輩だたーよ。

*2:後から、初代コメットさんの九重佑三子だと知ったよ。こんな顔してたっけ?

*3:…かはまだわからないけれど。

*4:他には、黒柳徹子ビキニ風衣装/4ページ/モノクロ(週刊文春67年11/13号)、黒柳徹子セミヌード/手ぶら/4ページ(Artプレイボーイ/篠山紀信特集号 69年01/15号)なんて物もありました。「黒柳徹子 手ブラ」って文字列、なんか嫌だね。