ひらまつつとむの経歴 (2)

 (id:SHELTER:20041227#hiramatsuの続き)


 先日調査してきました。結論から言うと、私は平松梅造とひらまつつとむは同一人物の可能性が高いと考えます。

ひらまつさんは、20歳のとき漫画家としての登竜門である「手塚賞」を受賞して上京。


 滋賀報知新聞 2004年10月4日

  • 第15回(1978年上期)手塚賞佳作(「汚された金庫」) 平松梅造 19歳・滋賀
  • 第19回(1980年上期)手塚賞準入選(「イダテンホーク」) 平松梅造 21歳・千葉

 2004年10月に45歳の滋賀県出身者・ひらまつつとむと、78年上期に19歳で80年上期に21歳だった平松梅造は年齢が合致します。
 「20歳の時に手塚賞を受賞して上京」ではなく、少々事実が前後してしまって「20歳の時に上京(千葉だけど)。その後、手塚賞を受賞」ならば、滋賀報知新聞にあるプロフィールと重なります。


 前回、<絵がその5年後の連載作「飛ぶ教室」のコミックス表紙と似ていたら、ひらまつつとむだと認定しちゃうよ、勝手に。>と書きましたが、絵なんてわからないよ!
 堀部健和の時(id:SHELTER:20040526:1085599332)のようにはいきませんでした。だって25年前の手塚赤塚発表ページのカットって、現在の半分…いや4分の一ぐらいのサイズしかないんだもの。いくらなんでも小さすぎてわからないわ。第19回(80年上期)手塚賞と第12回赤塚賞*1が発表された『週刊少年ジャンプ』1980年27号では、偶然にも、懸賞のきまりと当選者発表ページのカットを平松梅造が描いていたのですが、5年後の絵との相似はわかりませんでした。80年代の新人の絵って、皆同じに見えるんだもの。17歳時の桂正和も同じ回に受賞しているのですが、その受賞作「ツバサ」を読んだことがあっても、小さな1カットのみでは桂だとわからないし。
 しかもその懸賞ページのカットは、2大賞発表ページの受賞作カットとはタッチが違いました。前者が80年代にありがちなギャグ調のイラストで、後者が劇画調のものでした。


 絵を見て「これは同一人物だな」と自分で確認してから、複写したそのページの該当部分をアップして、「私はこれをひらまつつとむだと思うのですが、どうでしょう?」としんたろさん(id:Shintaro)の判断を仰ぐつもりでしたが、それらがあまりにも小さすぎて絵での判断が全くできなかったため、ページの複写請求をやめました。(時間が無かったというのも大きいです)


仁徳天皇陵、銅鐸型宇宙船―超スケールで描くSFロマン
 ↑は19歳時の受賞作「汚れた金庫」のあらすじ(紹介文?)です。(「イダテンホーク」の方はあらすじがありませんでした) 審査員からイマジネーションを褒められているのを読み、「飛ぶ教室」の発想に近いものがあるかな、と思いました。


 ひらまつつとむが20歳の時にあたる、79年下期から80年下期までの3回の発表記事をチェックする予定でしたが、それをすっかり忘れてしまって80年上期しか調べませんでした。79年下期と80年下期に「20歳・滋賀」の人がいないことを証明していたら、同一人物だという根拠はもっと磐石なものになっていたのにね。


 平松姓とプロフィールの合致だけですが、本人の可能性が高いと感じ、受賞者リストや出身作家リストを更新しました。

*1:NHK特集「わが青春のトキワ荘」でおなじみの宇土まんぶが受賞した回